Sing!

あなたの瞳の美しさ世界中に見せてあげたい

ツイログから

20120913

担降りするくらい私を夢中にさせる人に現れてほしいと思う反面、しょさん担っていうのはある意味自分のアイデンティティみたいなもんだから、そこを揺るがされるのにはとても恐怖感を覚える。

20130516

何度考えても、翔さんを表す言葉が自担しかなくて。神担とか殿堂入りとかピンと来なくて。私の原点で私の人生です。でも一番ではないのかもしれない。そして一番が誰なのか私にはまだ分からない。

 

私の“自担”は、あらしの翔さんです。これは、1999年から変わらないことで、私にとっては誇りのようなものです。実際に自担という言葉を知ったのはもっと後になるけど、翔さんを知ってから、翔さんを追わなかったことはない。“不遇の時代”も私にとっては幸せで楽しくてワクワクして、本当に本当に楽しかった。

どんなに他に気になる人ができても、翔さんの存在はそういうことの影響を受けない別次元にあって、過去の私は、他の気になる人を“副担と定義して納得してました。

 

私の頭に“担降り”が浮かぶようになった理由はたったひとつで、あらし担でいることに楽しみを見出せなくなったから。楽しみについては後で考えるとして、じゃあ楽しみを与えてくれるのが自担なのかっていう疑問。翔さんを自担と呼ぶことに疑問を感じなかった日々(今もそうだけど)楽しいだけだったかというとそんなことはなかった。CDは売れない、後輩担には馬鹿にされる、なんでだろう、何がいけないんだろうと鬱々とする時もあった。楽しいから自担って言えるわけではないんだよな。

 

とだらだらと書きながら、共有できることが大事だったのかなーとぼんやり。あの頃は、“私たちのあらし”だと思ってた。それが事実であれ幻想であれ、私と私たち(あらし担)とあらしは同じ方向を向いていたし、同じ思いを抱いていた(と私は思っている)それが、売れたいとかゴールデンにレギュラーが欲しいとか、そういうはっきりと言葉で言い表すことのできるものではなかったけど、なんとなく進む方向というか気持ちが一つだったのかな。コンサートにしても、無駄な一体感とか、振りは覚えて踊るよね?当たり前だよね?な感じが凄くて、初回はビビった。けど次からはそれが当たり前、最高に居心地のいい空間だった。あまり続けると、上で書いた“楽しみ”の話に流れるから、これくらいにしておくけど。

 

共有ね、共有。なんとなくひとつしっくりきた。